手法論

 

最近、都市デザインもしくは景観デザインの手法論について考えている。
一つは、空間の組み立て方の原理について
もう一つは、都市像の創出のための都市の調査の方法について
 
  
○空間の組み立て方の原理について
最近、Landscape Urbanismの本に出てくるいろいろなリファレンスを調べて整理しているのだが、既存インフラの空間構造に合わせて、それを補完する形でデザインを行っていくというアプローチは新鮮に感じる。
これまで地形に合わせるとか、自然の形態に合わせたデザインはよくあったが、既存の都市構造物や都市形態を活用し、いままでになかったようなダイナミックでかつ機能的な空間を作ろうという営み(ほとんどアメリカやオーストラリアだが)は日本でももっと議論されてよいと思う。
そんななかでもやはり、工場跡地の再生や遊休地の再生などの、大きな敷地になると軸線、グリッドが全面に出てくる。そういうのをみると、何か別の補助線の引き方がないかと考えさせられる。

空間の設計にあたり、対象を地面(モノ)として捉えるか、景として捉えるかで構成の方法が全く変わるのは当然だ。
基本的にはこの両者を往復するのがセオリーだが、この、景として捉える、ということが、やや感覚的に過ぎる(もしくは視覚的気持ちよさに過ぎる)気がしてて、なんらかの形で空間を組み立てるための言語化、理論化ができないかと思ったりしている。

景観研究の初期にはシークエンス研究がさかんとなったが、あれも、道路の設計に少し援用されたものの、ほとんどが分析だけにとどまり、都市でデザインの空間構成原理の理論化としては、英国タウンスケープ学派のものにとどまるのではないか。
経験の直線的な連続性にとどまらず、経験の多様性の階層の創出やそれらの統合というものが、どうにか構造化できないか、と考えたりしている。
もう一度タウンスケープ学派のその後の展開を見なければならないかも。
 
 
○都市の調査方法
都市の調査方法は既にたくさんある。
今、一般論的アプローチを敢えて捨て、都市の特異性に真正面からフォーカスした調査手法を探ることが面白いのではないかと考えている。
たとえばボローニャの都市再生の際の事前調査は、眼前の都市の状況から実践へと至る大きな力となっており、そういった調査方法を模索している(思考実験の中で)。
結局いかなる都市像をもってそれを実現しようとすることなんだろうと思う。
が、実はそこが弱い!

多極的中心と周縁の構造など、は日本独自の捉え方があるだろう。
日本的隙間・空地、駐車場、界隈などは面白い主題となるだろう。
また、欧米的価値観に基づく町並み形成を追いかけるのもいいが、日本型の美しいとは言えないかもしれないが、住みやすく楽しい町づくりの作法を、生活者の視点から捉え直すのも一つだろう。日本人の価値観からして(地域にもよるが)、景観よりも重要なものがあるかもしれない。たとえば語らう場など。
そういった場とはどこまでが都市デザインの対象となりえるのか。

また公・私の境界の話は昔からよく論じられてきたし、日本人が西洋的公共空間の使い方に慣れていないこと、近代以降の公園という概念や仕組みが根底から問われていること、など、いろんな現状がある中で、
私有空間の視覚的開放、公共空間にとどまらず私有空間のまとまりと連続性、
そういったものを扱う手法論が必要だと感じている。

何はともあれ、われわれがもつべき都市像の再定義、再解釈が必要だ。
都市像を描く際のボキャブラリーは圧倒的に不足している。
だから都市像の解像度が高まらないのでは、と考えている。
ここをもう少し詰めていかなくてはならない。

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