景観・歴史研究の意義

こないだとある先生と(飲みながら)議論したときのやりとりを備忘録的に残しておきます。

こんな質問をされました。
「研究とはそもそも科学的普遍性を重視するものだが、
 固有の景観や、固有の都市の歴史の研究にあたり、この普遍性の問題は
 どう考えればよいのか?」

これは特に理論研究をされている先生が必ずもたれている疑問だと思います。
実際僕自身よく訊ねられます。

僕なりの答えは二つあります。
1.個別の研究は一ケースであり、それが集合することで、理論へとつながっていく。
先ずは、個別の事例を明らかにすること自体にも学術的成果として価値があるが、
(個別の研究に学術的研究の意義と専門的方法論が認められている)
それは学術の体系として、研究の集合をもって現象やメカニズムを理論的に
考察するためのデータバンクをつくっているからです。
それぞれの個別の研究は当然ながら、ある種の価値観(計画観、歴史観)をもっています
ので、それをもって現象を検証しつつ、お互いに批評しつつ、しかし全体としては知の
データバンクを蓄積するということになります。

たとえば、自然科学の実験系では、特定のメカニズムや現象に着目して、
実験ケースを設計し、現象を再現可能な範囲で検証していきます。
しかし社会自体を扱う場合(政治や実践行為など)、それ自体の実験は不可能ですが、
実験ケースのように見立てて、データを取得し、厳密に考察する、ということは
一つの知的行為として可能です。
その考察、解釈の厳密性が問われるものはきちんとしたストックとして蓄積され、
集合的な知的営みのための手がかりとされます。

僕が研究しているような「都市の形成」メカニズムを政治や計画技術や技術者との関わり
から読む、というのも、ある意味、社会自体を壮大な実験と見立てて検証するという
行為にほかなりません。その成果は論文一本としての研究の意義にとどまらず、都市は
いかに形成されるのかという大問題に対する、巨大な集合知のなかに位置づけられる
ことによってはじめて評価されるものだと考えています。

2.対象そのものが普遍性をもつ
もう一つ理由があると思います。
たとえば僕が特定の景観地の研究を行うのは、そもそもその景観地が、ユネスコ的に言えば、
人間と環境の関わりや、当該地域の歴史や文化を理解する上で欠くことのできない「普遍的価値」
が認められるから、という場合があります。
その場合、研究の対象に普遍的価値がある場合があります。
しかしその歴史や形成メカニズムは固有であります。
しかし、研究によって厳密に論じられるまでは、「普遍的な価値」は共有されていません。
あくまで潜在的な価値にとどまるわけです。

この場合の研究という知的行為は「普遍的価値を学術的かつ厳密な考察によって定める」
ことにあります。つまり価値を図るのではなく、価値そのものをあぶり出し、構築するのです。
これは単純な定量的評価やアンケートでするようなものではありません。
固有の価値を積み上げて、普遍的な価値があると証明する「証明問題」です。
僕はここに真の知力が求められていると感じています。
(特に文化的景観の調査委員になって、それを感じます)
こうした知的行為は、固有のものを扱っているとはいえ、普遍性をもつものだと考えます。

以上のことが、理論研究派の方に分かってもらえると嬉しいですね。

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