日本風景史シンポジウム@東京

日本風景史シンポジウムその1を東京で開催しました。<プログラム>はこちら。
大変多くの方々にご参加いただけたことを嬉しく思います。(拙い進行で申し訳ありませんでした)

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第Ⅰ部の基調講演は中村良夫先生にお願いいたしました。
中村先生のお話しは何度も伺っていますが、聞く度に新しい発見、気づきがあります。
こちらも一生懸命勉強しているつもりですが、いつもそのさらに上をいく視野、視点をお示しになられます。
このたびは、風土=大きな書庫のようなもの、風景=書庫の中に入っていって、読み解いていくプロセスで
体験するもの、演奏するもの、という捉え方・表現をお示しになられました。目から鱗が何枚も落ちました。
加えて、風景史をめぐる視点として、否定の上に成り立つダイナミズムや日本人の時間に対する感性など、
重要なご示唆を数多くいただきました。

第Ⅱ部のディスカッションは一言でまとめられません。多様な論点が出されましたので、
参加者の方々がお感じになり、お考えになられたことはそれぞれかと思います。
いくつか、興味深い論点、考えが提出されました。これについてはあらためて。
 
 
私は、シンポジウムの間、そしてその後、あらためて今回の研究会および本の成果はなにかと考えていました。
個人的には、風景というものを表象レベルのものにとどまらず、広く解釈しようとする捉え方を、建築史の
方々から学んだのは大きかったです。シンポジウムの中でも、風景が発生する以前の「場」の話がでましたが、
論じるべきは風景そのものではなくて、あくまで人間と環境の関係のありようということです。
そして、こうした人間と環境の関係のありようや、環境に対する見方を、各時代で比較して、
相対化するという試みは、これまでの研究会において、ある程度成功したように思います。

人と環境の関係のありようは本当に多様で、現代に生きるわれわれが、われわれの知の範疇で、
容易にフレームを与えられるものではありません。
『日本風景史』では、「風景」という定義についても、各自が論じやすいように定義をした上で論じる
というやり方をとったわけですが、野村さんもおっしゃったように、僕も結果的に成功だったと思います。

今後も、「風景」「景色」の語誌やその使用の実態、変容はおさえることは必要だとは思いますが、
通史的な視点にとらわれずとも、歴史上の人間と環境の関わりのなかから豊かな意味を発掘し、
言語化する事が続けられれば、目下、それでいいのではないか、と思っています。
それを「風景」と捉えるかどうかは別にして。

一方で、表象レベルの風景の歴史としてみた場合には、まだまだ不十分なところもあり、
それも今後の課題として残されたかな、とは思います。

(ふと数えると退職まで30年ありました。地道にやっていきたいと思います)

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