70年

□□ 追記 2015.12.23 □□
NHKスペシャル「新・映像の世紀」第3集 第二次世界大戦 世界は独裁者を求めた、をみた。
気づいたことがある。戦争の本質は、「私益の確保のための他者の論理の排除」にある
ということである。
欧米各国での極右政党の躍進をみていると、時代は繰り返していることに身震いを禁じ得ない。
共同体の利益確保は否定すべきものではないが、異なる共同体や文化圏にいる他者との
相互理解、共存関係の構築が第一に目指されるべきである。

しかしこうした「他者の論理の排除」という思考形態は、われわれのごく身近に、ときに自身のなかに存在する。
敵を定めるというのはその典型である。
安易に敵を定め、正当な事を論じているようで限定された世界でしか通用しない事実を
論じている者などには注意が必要であり、これに意識的になっていないと、
ときに思考停止になってしまい、無意識的にでも排外主義に荷担してしまうこともあるのだ。

(追記、以上)
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終戦70年。僕の歳が35。たかだかそれを折り返しただけの時間にすぎない。
先の戦争では自然災害とは桁違いの犠牲者がでた。日本人だけで310万人と言われる。
なぜこんなことになってしまったのか、ということは、日本人ならそれぞれが
考えておかなければならないことだと思う。

日本の近代化は、欧米列強の植民地支配への対抗にはじまるが、
日本に民主主義が育つ前に、一部の権力者による支配体制が築かれてしまった。
メディアも権力に迎合してしまった。
ひとたび戦争が起こされると、誰も引き返させることができなかった。
そんなやるせなさを思いつつも、今日は、伊丹万作が『映画春秋』(創刊号・昭和21年8月)
に発表した「戦争責任者の問題」という文章を紹介したい。(青空文庫、著作権フリー)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

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さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
(中略)
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
(中略)
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

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これは、単なる戦争論にとどまらない、近代化そのものに対する舌鋒鋭い指摘だ。

政治における大衆主義の蔓延と、それによる政治の不安定、
あらゆる意志決定における合理的精神の欠如、熟議の不備、
経済至上主義と短期的利益重視による大局観の見誤り、
大量の”消費期限の短い”情報、偏向した情報による思考空間の占拠、などなど。

今も、世の中の多くの人々は多かれ少なかれ「だまされている」のかもしれない。
だからこそ、いつの時代もしっかりとした批判精神を育むことが求められている。
自らの無知、無関心は、無邪気に容認されるものではないのである。

これからの激変する社会においては、自らの内に判断基準をもつことが重要な意味を持つし、
また多数派であっても間違った事をいう人々に相対峙し、それを正す必要もでてくるだろう。
教養なき技術は単なる機械であり(ときに社会悪にもなる)、思想なき仕事は歯車に過ぎない。
大局観と想像力が求められる。

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