研究シーズン

卒論修論添削シーズン到来。査読付共著論文の修正、本の原稿や自分の論文の
査読修正もあり、いよいよ忙しい時期に入ったが、研究成果の仕上げの段階の
議論は研究の醍醐味ともいえ、一年で一番面白い時期である。

いい研究の条件は、一に構想・テーマ、二に論文構成とディテール・考察の表現だと思う。

まず、構想・テーマの選択というのはなかなか難しい。面白いテーマであれば誰かが手をつけている。
重要なのに誰も気づかなかったテーマというのは、一見してみえない。
僕の場合も、はじめからこのテーマでやろう、と決め打ちで研究を進めるのはほとんどなく、
なんかありそうだと、研究を掘り進めてから、はじめていいテーマに当たるということばかりである。
なので研究の最初のころは無駄ばかりである。無駄を承知である程度掘り下げないと何も始まらない。
無駄をおそれるのではなく、10のなかの1の発見を楽しめるかどうか。
そのうち嗅覚が研ぎ澄まされて「なんかありそう」のセンサーがうまくはたらくようになる。
経験の賜物である。
ほかの研究者もそういう経験をもっており、研究テーマをマネしようと思っても
簡単にできないのはそういうところにあるのだろう。
逆に誰でも思いつく研究は、誰でもできるし、すぐに追いつかれてしまう。

経験がない状態で新しいテーマをやる場合は、既に高い水準に達している研究蓄積
(手法、概念、考察など)を勉強し修得した上で、その延長を考える必要がある。
そうした蓄積をふまえない研究は大した成果にならない。
誰もがやっていないテーマ(「既往研究がありません」というようなパターン)
であっても、実際には隣接分野やテーマに知の蓄積があり、これをきちんとふまえて
回り道をしながらでも武器を持ってアプローチする必要がある。
ただし手法を単に適用するだけではいい研究とはいえない。(この勘違いは多い)
自分の関心のある学術的課題と、既にある研究蓄積をうまく組み合わせ、独自で構造化、
概念化して考察を深められることができれば(手法も新たに開発する)いい研究になる。
 

が、いい研究においては、テーマ選びのほか、二の「やりきること」がとても大事で、
ここが論文の出来を決める。
実際に研究を進め、オリジナルのデータもとれて、考察も見えてきて、そこからである。
一生懸命頑張っても、「で、結局、何がしたいのか分からん」という評価になることはしばしばある。
データをそのまま出し、データを説明するのが研究ではない。
重要な一つの「仮説」を証明しきれるかどうか、が重要なのである。

ようは、シンプルで面白い仮説が設定できるか、
明確な一本の筋の立ったストーリーをきちんと描けるか、
は当然として(これがないとデータがとれない)、
研究フレームを明確に定め、論文を構造化できているか、
考察の抽象化・概念化とその説明がきちんとできているか、
因果関係がきちんと説明しきれているか、
文章はうまく書けているか、などの一つ一つで研究の価値が決まってくる。

景観デザインと同じで、漠然としたイメージは役に立たない。
ディテールまで仕上げきって始めて人に理解してもらえるし、自分も本当に理解する。
そして研究が自分の考えから離れて「自立する」のである。逆に言うと自立させる必要がある。
そしてその研究が以後の多くの研究のモデルや先駆けとなるものになれば最高である。
というか、基本的にはそれを目指し続けなければならない。結果そこまで到達するのは稀であるとしても。

僕自身も10年前に樋口先生に言われた。
いいテーマであるほど、中途半端にやると、誰かにアイディアをもっていかれてしまう。
自分の成果にするためには、やりきることが大事だ、モデルをつくれ、と。
また革新的なアイディアほど、人は馴染みがなく理解できないため、論理には完璧を期すべしと。

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