仮想か現実か。その境界は。

コロナでしばらく東京出張できず、先日用事で1泊。その際、コロナ前から行きたかったチームラボの展示をようやく見に行きました。京都駅東南部にもできることですし。

写真は、「Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体」という作品中のもの。新しい庭の表現ですね。空間体験もすばらしかったです。
https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/ffgarden_planets/

プラネッツ https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/
ボーダレス https://borderless.teamlab.art/jp/

そこでいろいろと感じたので、備忘録で書き残しておきます。

まず、仮想アートが主だが、うまくリアルな感覚とミックスして錯覚を生んでいます。特に「Floating in the Falling Universe of Flowers」は、本能レベルでうまくだまされます。身を置いていると感覚が開かれる感じがしました。

視覚に関してだけ言っても、環境との関わりの新しい形が見出せました。
たとえばモチーフとしての動きのある自然物。
自然の模倣は古典的テーマですが、魚や蝶、鳥の群れの動き、重力、熱、風の力など力学的な表現、花の開花や四季、生々流転の動き、循環の宇宙の時間的な表現が秀逸です。これら自然の本質の直感的把捉、プログラムによる再現や現代的な空間表現によって作品が成り立っています。

二次元芸術の本質的テーマは、形、様態、光、色、奥行きだったと思います。
これに時間が加わり、蝶や鳥のはばたきの瞬間から、一輪の花の開花、1年の四季の変化、宇宙の盛衰まで、スケールフリーで動きや時間が表現されます。
この時間の長さを自在にし、また大きさを画面上の前後の位置関係で大小変化させることで、変化のダイナミズムを直観的に感受できます。
新しい。想像力がどこまでも開く感覚を味わいました。
ぜひ体験してみてください。

さて、これと直接は関係ないのですが、仮想空間時代が迫っていることを強く実感しました。

仮想空間は、実環境の環境情報を、一部超えてしまいます。
どこまでいっても、仮想は仮想。実環境の模倣でありフェイクではあるが、そのリアリティと、エンターテイメント性や気軽さから、実環境に置き換わっていくのは時間の問題だと思います。また、現実と仮想の境界を感じさせない、巧妙な仕掛けが設けられるでしょう。

そして、仮想空間のなかに関係を生む場が展開し、コミュニティ形成が始まると、場を通じて我われ自身の「感覚」に変化をもたらすようになります。
そうすると仮想は単なる仮想にとどまらない、私たちにとって意味のある場所になります。

その先にあるのは、20世紀の社会問題であった「人口の都市一極集中」という問題に、仮想都市(メタバース)や分身(アバター)に暮らす「時間・関心の仮想空間集中」という問題が新たに加わるということです。それは現実の環境に対する関心を徐々に小さくしていきます。大きな可能性を感じる一方で、課題も感じました。

地域とは、最も根源的な、人と人の関わりのプラットフォームです。
リアルな環境との接触をつくっておかないと、環境への関心をなくし、マネジメントができなくなり、環境の質を継承できなくなります。環境の維持には人の手が必要ですが、面倒くさいですから。現状のままそれを放置すると地域はどうなるか。程度の問題ですが、環境基盤が弱体化し、リアルと仮想のギャップはますます広がり、人の関わりのプラットフォームも崩壊する怖れもあります。これは新しい社会の問題になるだろうと思います。

たとえば、農業の政策的課題はもはや産業から環境へ移行しつつあります。
産業としてはほぼ成り立ちにくくなっていて、地域環境保全のために補助金を出してでも農業を続けることが重要なミッションになっています。できない農地は放棄、もしくは再自然化されます。うまく計画・管理されていればよいのですが、100年スパンでの原生自然への移行期にはいろんな課題が発生するでしょう(現在でも、獣害、水災害、農を基盤とするコミュニティの崩壊・希薄化など・・・)。どう害悪を押さえるべく、地域主体が協力して変化を整えるかが課題になります。ある種のリスク・ガバナンスですね。見て見ぬふりをするのか、それとも・・・。
間もなく、農業以外の地域環境の総合的マネジメントも、重要な環境政策になるでしょう。これは、地球環境問題とは別次元の問題で、地域環境・社会の持続可能性の問題になります。

これは環境の問題である以上に、人間形成の問題として重要です。
実環境は、人間形成・社会関係形成の意味で大きな役割を果たします。
感性・身体性の獲得、野生・本能の教化・訓練などの人間形成。
環境資源を背景に人間同士の協力を基盤とする社会関係形成。
ホモサピエンスそのものが、環境の中で進化してきた動物なので、環境との関係や環境の中での人間関係はやはり基本です。環境と人間の関係が退化すると、人間そのものの能力も退化すると思います。


大地を離れても、人間そのものは生きていけるのですが、そうじゃない環境文化の持続を図りたい。
そのためには、視覚以外のリアルな知覚体験(匂い、食味、音、体感・運動等)や場所に固有の文化体験の充実を図り、環境との接触をつくり、人と人の関係をつくっていくことが必要かと思います。そうでないと人間の能力は弱体化し、アイデンティティが崩壊するのではないかと思います(次世代の人はそうでないかもしれませんが)。ただ、私が生きている間、少なくとも今後10〜20年、この問題がまちづくりの重要な課題なりミッションになっていくはずです。

そういった意味での環境倫理・環境教育原論を早急に鍛えないといけないかなと思います。