若いうちに何を信じるべきか
ゼミの懇親会で話していて、ぜひこれは若い学生諸君に伝えておこうと思ったので、備忘録として残しておきたいと思います。
若い頃は「自分は何者であるか」「自分には何ができるのか」を模索する時期です。
私もこれまで百人以上の研究室卒業生、千人以上の仕事でお付き合いある実務者・専門家等を見てきて、本当に大事だと思っていることがあります。
それは、若いうちに高い目標を掲げ、その実現を信じきるということが、自己実現において決定的に重要だ、ということです。二十代前半、何者でもない自分にとっては、高すぎると思えるかもしれないほどの高い目標であっても、それを掲げ、それを自分はできると信じきることができた人が、実際にそれを実現しているからです。
これは不思議な現象で、理屈でははっきりと説明できないのですが、経験的に確からしいのです。おそらく「努力すれば自分ならできる」と、自分の可能性を信じ切ることで、自らの行動を促し、周りを巻き込み、それが、その目標達成に導いていくからだと思います。スポーツの世界もそれに近いことがあるかとは思います。大谷夢ノートとか。
最初から才能があったのか、それとも、才能を磨くことで開花したのかは分かりません。一定の実力は必要ですが、まあ似たりよったりです。最初は大した差はありません。最初からできているわけでも、可能性が見えているわけでもまったくない状態からのスタートなのはみんな同じ。
差を生み出すのは、目標の設定の仕方と、信じきれるかどうか。そして正しい努力ができるかとうか。正しく努力し続けることさえできれば、実力は必ず追いついてきます。伸びの方がよほど大事です。
要するに思考は現実化するわけで、思考し続けていれば、そこに至るための正しい努力の仕方が次第に分かるようになる、のだと思います。正しい努力の仕方は経験者、よく分かっている人から学ぶことです。
しかし、一方でそれが簡単ではないことも分かるわけです。
まだ何者でもない自分に何ができるのか。できないことが多すぎて、自分を信じることなどできない。根拠がないからです。なので、そのギャップを埋めるためには、時に根拠のない自信(ときに勘違いであっても)や思い込みも必要になります。根拠は自分の直観です。
無意識のうちに、自分を縛るさまざまな言葉、思考の枠に、はまってしまいがちです。友達、先輩、社会の大人たち、そして親しい家族であっても、みなよかれと思って言う口に出た思い、思い込みによる思考の枠組みで、知らず知らず自分たちに限界を与えてしまう。これは心理学の知見で説明できる事象ですね。
しかし、世間の常識を鵜呑みにして、自分の可能性を自分でつぶしてはいけないのです。身の程はいずれ知ればいいし、そのとき軌道修正すればいい。最初の目標設定は勘違いしているくらい高いのがよいのです。実力を身につけてから目標を掲げよう、という考え方では世の中のさまざまな障壁を突破することはできません。大多数のなかの1人になってしまいます。これをしたいという思いをもち、年齢を重ねても、自分を信じ続けることができるかどうか、です。これがあればイノベーションを生み出せます。
また、正しい努力の方向を見出すためには、よく分かっている人にきくしかありません。ただ、それをよく分かっている人は必ずしも多くない。きちんと見極めることが必要です。
ただ、もちろん高い目標など自分に必要ない、という人もいてよいと思います。人それぞれの人生ですので。ゆっくりドライブも、まあ悪くないでしょう。
それでも、一人でも多くが、高い目標を掲げ、やがてそれを実現する人間になって欲しい、それが社会のためにあって欲しい、と願うばかりです。
自分がこうありたいと強く願えば、大抵は叶う、ということを知ってもらいたいのです。