生成AI時代への適応(その2)
生成AI時代への適応(その1)の続きです。
正確に理解している人は多くいないと思いますが、生成AIの台頭による知的労働の地殻変動が生じています。AIが得意とする技術的処理、論理と演算、膨大なデータの取得と活用、文書作成の領域では、これまで「頭脳労働者」として評価されてきた人間の価値が、「このまま」では相対化に低下することは明らかです。これからの時代に適応すべく、技能の変革、学習のあり方の変革が迫られています。
では、生成AI時代において、仕事においてプロフェッショナルとして生きるために、人間はどのような能力を鍛えるべきか。私自身、危機感をもって、自身の生存戦略について、いろいろ考えを深めた結果、いくつかのポイントが見えてきました。それを共有しておきたいと思います。
人文社会学の深い素養に基づく価値判断力
生成AIは大量の情報を処理し活用することができるが、一方で複雑な文脈や構造を記憶するのは未だ苦手です。人文社会学的な深い知見、深い価値判断や批判的・哲学的思考を行う能力は、人間に分があり、信頼できます。情報が画一化してしまう中で、情報の違いを生み出すためには深さと角度が鍵になります。
また、生成AI時代には、そもそもの情報量が爆発的に増えます。情報過多の時代において稀少な「価値の高い情報」は、大量の「価値の低い情報」のなかに埋もれ、邪魔されて見つけにくくなります。人間側が、情報の目利きができなければ、大量の無価値な情報に溺れ、騙され、本当に必要な情報にアクセスすることができません。情報の目利きとは、私の経験上、大量の不必要な情報を無視(スルー)できる力です。価値がないものを見抜き、捨て去る力ですね。このセンスは訓練しないと身に付けられません。が、鍛えなければ生産効率は上がりません。
それは物事の本質が何であるかを見抜く批判的能力でもあります。考えるプロセスとは問いの連続です。「良い問い」を自ら立てられるようになるためには、哲学を含め、人文学的な深い理解に基づく価値判断や批判能力を訓練する必要があります。これは!という自分の思想の軸にしたい優れた書物を深く読み込む。深く読んだから到達できる理解の深みや、新しい世界を展望できる視野を得ることができます。研究活動もよい訓練になります。このような経験を積み重ねて、自らの考えの拠り所となる思考の軸を作り、フレームをしっかりしたものにしていく必要があります。知的体力という点ではスポーツにおける体力に似ています。
基礎さえできれば、大量の情報から自らの本質的な問いに答えるための様々な問いと情報を、大量の情報リソースから効率的に組み立てることができます。このとき軸やフレームがなければ、情報を構造化できず、ゴミの山になってしまいます。しかし世の中は、ほとんどゴミの山で溢れているのです。それに踊らされないようにしなければなりません。
個性と創造力
AIは既存のパターンから学習しますが、真に未知のものを生み出す創造性は乏しく、人間にはますます創造性の発揮が求められる、と言われます。それはその通りですが、創造性とは何でしょうか。一つは先に述べた思考の軸を掘ることです。そこから「本質的な問い」を生み出すのです。深くに到達している人は少ないですから、稀少性が生まれます。
もう一つは、自分自身の「経験」や「感覚」に基づく直観から発想し、独自の仮説を立てることです。直観や本能を基礎にした組み立ては、AIにはできません。それが人間の強みになります。0から1を生み出すには、直観からイメージをする力を鍛えることが必要です。
また、何を強調し、何を際立たせるか、ちょっとした発想の違いで、違いを生み出すことができるのも創造力の一つです。これには高い解像度の思考と繊細な感性が必要です。
文化的・芸術的領域は当然それが必要ですが、その領域にかかわらず、全領域において、個々人の独自の感性、文化的素養がますます重要になるでしょう。デザインも美術も音楽も、文化に係わる活動は似た構造をもっています。すなわち、質の高い作品や産物に触れる経験を重ねて、それを直観で感じられる感性を磨き、それを深く感受できる自分の解像度を上げ、その感性や価値観を源泉にすることで、自分にしかできない表現ができるようになる、ということです。そして重要なのは感性や価値観は鍛えられるということです。
全人格的なコミュニケーションの力
AIに自意識はありません。身体性を持たないからです。自意識のように見えるものは、人間が生み出した過去の意識や反応のパターンを模しているだけであり、イルージョンです。しかし、それにだまされるのは我々が人間の脳をもち、それに本能で共感するからです。
さまざまな情報やサービスが飽和すると、結局は、人間のフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション、人と人の関わり合い、共に感じ、共に楽しむ経験が重視されるようになるはずです。それらは、AIがつくる情報で置き換えられないからです。
このような全人格的な交流の中で育まれるコミュニケーション能力、共感能力、人としての信頼を構築する能力は、AIにはない人間の強みです。AI共存社会の中で違いを生み出すためには、その強みを意識的に強化する必要があるでしょう。AIはさまざまな客観的情報を提供してくれますが、何を重視するか、何を実現するか、という意思決定は結局のところ人間の仕事になります。
そして、人を説得する、物語(ナラティブ)をつくり、他者と共有する力にするのも人間の重要な仕事です。このような仕事が期待されるでしょう。もちろん、そのための道具としてAIをうまく活用すべきです。
人間として信頼できる、センスが信頼できる、おもしろい、一緒になにかしたい、そういう味わいのある人間がますます重宝されるようになるはずです。AIを使ってどう自己をトレーニングするかも重要です。
社会実践、社会実装 ディレクションできる力
自分自身を意識的に鍛えるために、何が人間の強みなのか、いろいろ考えた結果、気づいたのが、AIには「社会実践」をすることができないという事実です。どれほど優れたAIも、人間の判断と行動なしには社会実践、社会実装ができません。価値判断と社会との直接の関わりをともなう社会実践は人間しかできないのです。
つまり、人間にしかできない強みは、直接的なコミュニケーションを通じて人を巻き込みながら、社会実践、社会実装を進めることができる、ということです。こればかりは、いくら生成AIが進化しても、なくならない人間の仕事です。むしろAIの力を活用して、ますます高度化できます。これらを意識的に推し進めながら、「AIとは異なる立ち位置」やキャラクターを確立することがこれからのわれわれの生存戦略として浮かび上がります。それは研究者・教育者としての私にとっても同様です。それに気づいて少し気が楽になりました。
社会実践、社会実装において重要なのが、「ディレクション」できる能力です。最近、ディレクションの重要性を非常に強く感じていて、そのような職能の確立を進めないといけないと実感しています。これは上に述べた3つの力の総合力が基礎になるのです。違いを、新しい価値を、生み出さなければならないからです。
ホワイトカラーほど、これらの能力を意識的に磨くことができる教育システム、学びの場が必要です。しかし成熟、いや、硬直化した教育・社会システムが変化するのは遅いのです。ぼーっとして手遅れにならないように、AIに支配されにくい、人間の世界を築く(防衛する)力を鍛えなければなりません。意識的な自己学習変革とそのための戦略を練り、考える力、うまく生きる力を鍛えていく必要があります。
(次回、研究篇へ続く)