研究再考

景観デザインの発表会,7回目か.
毎年参加する度に思うが,ためになり,刺激になる.そして悩ましくもある.
悩みの種は,景観研究の難しさであり,
そもそもの目的,方法論,完成度,(+有効性)がよく分からないものに陥りがちになること.

よく分からないものを,よく分からないなりに考察してきてみたが,未だによく分からない,
というのが正直なところかなあとみるけれども,最近そう言う死屍累々というのが多い気が
してて,学会としてこれをこのまま続けるよう奨励して(厳しい批判をするとか,新しい方向性を
厳密に議論していくとかしないで)本当にこれでいいのかなあとも思ったりする.
というかそれは学会の問題ではなかろう.指導者である研究者それぞれの意識の問題であると思う.
教育機関だと割り切っていたら別だけど.

現象理解は,どういう体系の,どういう現象のどの部分の理解なのか,とか,
実践理論は,どういう目的のために,どう限定的に使えて,どう改良すべきなのか,とか.
これを,内藤先生の話じゃないが「なんとなく」やっているのかなあ,という感じを受ける.
そういうのが無駄だといいたいわけでは決してない.
でもストックにならないつらさは,どこもが悩んでいるのではないだろうか.

自分はというと,まったく見当のない見切り発車を学生にさせるのは怖いし,
とてもじゃないけど死屍累々のなかに突っ込ませる訳にもいけないと思って,
安易に景観研究・風景研究へ導くのは避けていた.

歴史(都市史)は,まあ方法論が固いので,研究目的が学術的な主題に貢献したり,
史観の証明につながれば問題はない,という安心はあるけれども,それだけやってていても世の中は変わらない.
歴史的事象を勉強することは,学生には大きな意義がある(教育として)と信じているけれども,
その知見を外部化したときに,歴史の人しか萌えないものであれば,やっぱりそれもまたしんどい.

「景観研究を悩む」でも話したとおり,僕も,“計画の人として” 「計画論」やそのための基礎研究としての景観研究をやらなきゃならないとは強く思っている.これまではどういうアプローチでやるかが見えていなかったから手がつけられなかったわけだけど,
こないだのメモに書いたように,ようやく風景論の再構築の方向が見えてきたので,
そろそろこれに基づいて,来年度にむけて各論的研究テーマの具体化を進めていかなきゃなと思っている.
研究のそもそもの目的,方法論,完成度,(+有効性)を悩みながら.
死屍累々に突っ込まないように,しないと.

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