樋口先生との思い出

私にとって、かけがえのない恩師である樋口忠彦先生が、本年9月5日、ご永眠されました。

毎年末、南禅寺の先生宅を訪問して、1年の報告をし続けておりましたが、一昨年末が最後となりました。
最期にもう一度、お話ししたかった。先日、お線香をあげに伺い、お別れのご挨拶をしました。

 

学生時代は、ゼミの一言一言、講義だけでなく雑談も一言一句聞き漏らすまいと吸収し、
景観を歴史から読むことの意義、風景(景色)の見方の重要性を教わり、それが私の学問の最も基礎になっています。

振り返れば、修士1年の就職活動時、実務の道へ進むつもりだった私は、先生に「景観を一生の仕事にしたい」と相談しました。先生が、それなら大学しかないなとおっしゃられたことが、私が景観の研究者の道へ進むきっかけとなりました。
修士2年のときには、私のゼミ発表後、その内容をオギュスタン・ベルク先生との研究会で発表しないか、とお誘いいただき、ベルク先生主催の研究会に参加させていただいて、その後、一緒に日文研叢書の論文を執筆させていただきました。
そして、私が最初の職を得るときも、先生から本当に大きな後押しをいただきました。

先生からいただいた御恩には、本当に感謝してもしきれません。

 

ご退職直前には、寺町通りのカフェのオープンテラスで長い時間お話ししました。
「ずっと(まちづくりや景観の)コンサルティングがしたかったんだよ、会社をつくるのは今からじゃあもう遅いよな」とおっしゃられたことが今も鮮明に頭に残っております。できるなら自分が実現したい、と思ったことを思い出します。

また、ご退職後、私が企画したゼミ合宿にお招きし、『景観の構造』や『日本の景観』に取り上げられた場所を訪れ、現地であれこれお話しをさせていただいたのも、よい想い出です。
著書の構想がどのように生まれたか。鈴木忠義先生とのやりとり。そして、日本の原点を探りたかったこと、など当時のことをいろいろと教えていただきました。

『日本風景史』を上梓した際も、ご感想をいただきました。ウェスティン都ホテルのカフェで、南禅寺を見下ろしながら。あなたの論文はいいが、この本全体では、風景の歴史にはなっていないね、との鋭いご指摘いただき、あなたがきちんと書きなさい、と叱咤激励をいただきました。

 

「三つ子の魂百まで」といいますが、私が景観を学んだ最初の3年が、樋口先生の4年の京大在学期間に重なったことは本当に大きな幸運でした。先生の豊富な見識に根ざしたパースペクティブを、存分に吸収できました。そして次は、私が教えていただいたこのパースペクティブを、次の世代、後輩達に伝えていかねばなりません。

とはいえ、私の仕事はといえば、先生に胸を張って報告できるまでには至らず、まだ道半ばです。新たに立てる理論の骨格はなんとかできましたので、あとは書き進め、論証します。樋口先生の背中を追いかけて、私は私の役割をきちんと果たしたいと思います。それで少しでもご恩をお返しができればと。

 

樋口先生、どうか安らかにおやすみください。

そして、教え子達、孫弟子達の活躍を、天国から見守っていてください。

 🙏

写真は2011年9月に行った樋口先生とのゼミ合宿@明日香村、の様子(樋口先生67歳、私31歳のころ)

2011年のゼミ合宿の報告記事はこちら