ドイツ留学を振り返って

明日,デザインワークショップの成果発表で非常に楽しみにしている.
そして僕は8日に帰国.さて,ドイツでの日々を振り返ってみると,
自分にとってはあらゆる側面で価値観の変化があった.
特に重要だと考えるものについて書き残しておきたい.

・ドイツで最も刺激的だったことは,都市計画・デザイン研究者が,問題を現実の都市の中から探り出し(捻り出し),概念化するとともにそれに対するあらゆる解決策を試みようとしていることだ.身近な問題に囚われがちな実務家とは異なるパースペクティブで問題に対して根本的に向き合い,答えを探す.この態度は自分の中で最も大きな刺激となった.
 僕自身日本でもいくつかの実践を試みているが,どういえばいいか,少し型にはまっていたきらいがある.それは日本で可能な実務的制限がつくっていた型かもしれない.当然ながら実務的な仕事のサポートをするだけが学者の役割ではない.現実の都市の中にあるしかし誰も気付いていない,もしくは言語化できていない問題に対して概念を与え,枠組みを与えて,学術的体系の中に位置づけること,さらに解決策の具体化・空間化のためのシナリオ(ストーリー)を考えることが重要な役割なのだ.特に,それを社会的合意形成に至らせるための「概念化・言語化」が(法律家や弁護士の仕事のように)必要.
 これは卒業論文(設計)でも同様である.現場から問題を発見し,概念化し,データ化し,解決策の道筋をつくり,具体化し,空間化する.これが大学の研究室という機関に求められていることではないか.
 と,ドイツ滞在中に,この意識をかなり強くした.今後の自分自身の課題は,現実の都市問題のなかの問題を発見し「概念化」することだ,と明確になった.それはたとえばドイツでの”the in-between city”の概念化であり,計画言語化である.
もちろんドイツの事例は,ドイツの問題を解決するためにチューニングされている.知れば知るほどこれを感じた.こちらでデベロップされたアイディアは日本に簡単に持ってこれるようなものではない.日本ならではの問題,日本の歴史的継続性,法律なり制度なり,日本人の気質なり,など,日本の問題は当然ながら日本に固有のものだ.これをいかに意識的に捉え,枠組み設定を目指すかが問われている.

・次に,Emscher Landshaftparkの内外のプロジェクトを概観して身をもって感じたことであるが,景観計画とは,”見え”としての景観や,景観そのものを対象とするフェーズはもはやとっくに抜けているということである.視覚分析のようなものは景観計画のごくごく一部にすぎず,それを=景観計画と同義的に考えてはだめだ.「景観」の問題は,地域経済や社会福祉と大きな関わりがあり,physical / socialな問題の解決を目指す武器の取り扱いの問題である.空間計画は,地域のビジョンやシナリオと一体となっておかなければならない.ドイツに来る前から,こういうことは分かってはいたが,こちらではそれが「当たり前」であり,徹底されていることに改めて勉強になった.

・最後は計画のあり方とは,という話.ドイツのプランナーのあり方,努力のあり方から多くのことを学んだ.「私のやっている仕事のほとんどは,自分たちのアイディアを実現するために様々なステークホルダーに働きかけること(ネゴシエーション)だ」と述べたあるプランナーの一言は,こちらのプランナーのあり方を端的に示している.大学にいると計画策定の委員とかに呼ばれることがある.実際にこれはこれで大事な仕事なんだが,本当にやるべき仕事は最初に述べたように,新しい問題の設定,概念化,そしてその解決へのクオリティの高いアイディアを出すこと,そしてそれを実装へ向けて努力することである.自分やチームが考えたイノベーティブなアイディアを,机上の空論で終わらせるのではなく,行政やステークホルダーへはたらきかけ,その意義を理解してもらい,プロジェクトの実施,計画の実装という社会的合意形成へと至ることが目指されるべきだ.泥臭い仕事だし報われることの方が少ないだろうが,もう時代はそういうフェーズに入っていると理解したい.

補足で,歴史研究の意義の話.
・こちらでは(も)計画の前にかなりの調査をする.歴史調査,景観の成り立ちの調査は最も
重要なものの一つである.
僕は景観・都市の歴史の研究者でもあるので,(計画とどっちがメインか分からない)
この両者をどう統合するか,というのは自分自身の大きな課題でもあるのだが,
こちらでプロジェクトに必ずといっていいほどジオグラファーの参画があることや,
歴史の掘り起こしが地域デザインの大きな柱になっていることなどを目にして勉強になった.
こちらでは,いろいろな歴史的経緯や現況によって,自分自身の,もしくはまちのルーツに
対する認識が意識化されている.こちらもそのうちそうなるだろう.
○○人(郷土),というアイデンティティが叫ばれるようになるに違いない.
アイデンティティの問題は,いろいろなプロジェクトの背景にみえた.
この問題は計画論の中に真剣に組み入れていかなければならないだろう.

ドルトムントは雨ばっかりだったし,一般的にご飯はいまいち美味しくなかったが,
7月,8月の夏のシーズンは本当に快適だった.
国外の研究者ネットワークが広がったのも大きい.これはおそらく10年スパンで効いて
くると思う.将来が楽しみだ.胸を張れるように,日本での研究を深めたい.

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