集約型都市づくりのもう一方で

今日たまたまみたNHKで縮退都市とその政策を取り上げていた。
1人あたりのインフラ維持費の莫大な郊外は、なるべく撤退の方向で考える、
という考え方は合理的で理に適ってはいる。都市の集約化と縮退は必要。
なかでも公共投資を中心市街地に集約するというプラスの考え方は事業ベース、
補助金ベースの話なので、まあそんなに難しくはない。

難しいのは、既に市街地化して“しまった”ところをどうたたむか、その誘導
を行うことであろう。たとえばインフラ維持においては受益者負担を導入する
ことが有効であろうが、そのようなことはいつ実現可能なのだろうか。
素朴な疑問である。

一方で、僕が気になったのは、将来的に撤退していく途中、すなわち「歯抜け」になった
市街地、環境劣化が進んだまちに「まだ」住んでいる人と、そのまちを
どうケアするのかという問題だ。主に社会的弱者となるだろう。

廃墟の中に住まざるをえない、というリスクがある。
物理的な廃屋については、最近、条例で行政代執行による撤去を試みる自治体が
現れはじめている。しかし、これも多くのお金がかかり問題だ。

縮退の過程で、密度は低くなったとしても、環境劣化は避ける(高質を維持する)
というシナリオをどう描くか。
これは考えておかなければならない問題だと思っている。
都市問題である一方で、景観問題でもある。

これには土地所有の問題が立ちはだかる。
虫食い状空き地をどう集約するか。もしくは、どう活用するか。
区画を再整理することは理論的には可能だろうが、経済力が追いつくか。
空き地と交換分合して建替によって集約することなども考えられるが、
多様な主体がいる中で、どの程度合意を重ねられるか。
農地・樹林地等に土地利用転換というときに、きちんと管理できるか。
都市更新を円滑にする制度が必要だ。課題は多い。
未利用地の活用についても、地域コミュニティがそれなりにしっかりしていれば、地主の合意を得て、
まちづくりのための暫定利用を進めることは可能だろう。(今、奈良で進めている)

そんななかで、ツイン区画整理(集約拠点と郊外市街地の飛び施行区域)
という試案を始めて知った。とても面白い。こういったものが実現するといいと思う。

あれこれ、
未来志向の計画についての合意形成なら、まだやさしい。
いろいろ問題が起こる前に、それに向き合うのは難しい。
土地は個人のもの、という考えを多くの人がもつなかでも、環境劣化を防ぐためには、
土地を、その景観を「みんなのもの」として、マネジメントする必要がある。

若い人で(うちの研究室からも)国の立場(都市局)で、こういう問題に取り組む人が出てきてほしいな、とは思う。

【参考】

クリックして000016712.pdfにアクセス

クリックしてshiryou2.pdfにアクセス

など

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