2015-2016

2015-年末年始は一年を振り返り、次の一年の目標を定めることにしている。
まず2015年を振り返ると、とにかくあちこちの現場に奔走した一年だった。
いいか悪いか分からないが、結果的にはあらたな種まきを多くすることになった。
とはいえ、足で稼がないと始まらない。芽が出ることを期待したい。

年を経るごとにますます自分の時間が確保できなくなり、今までのように
ひとつのことにじっくりと取り組むことが難しくなりつつある。
やりかたを変えなければいけないな、と感じることも多かった。
というわけで2016年の目標は、
「自分にしか出来ない仕事に集中する」としたい。

世の中には多くの専門家がいる。誰かに出来ることはその人に任せ、
自身の強みが最大限に活きるトピックに、自身の資源を一点集中する
ということを2016年はあらためて意識したい。

研究に関して言えば、HPに記載のテーマを進めるのに変わりはないが、

・風致施策史研究、文化的景観研究の集中的展開
・実践研究の立ち上げ
→ 歴史×まちづくり の計画論的研究
公共デザインの調整・協議システム研究

に努めることを目標とする。
研究も実践も「誰もやっていないこと!」を意識して、勇気をもって進めたい。

(以下、脱線。20代の若い人へ)
なんというか、大学での教育カリキュラムは技術者として最低限出来るように基礎を身につけることが主眼になっているので、高校-大学までの教育の延長で、全体にそつなく能力・技能が高ければ世の中で重宝される、という勘違いはしばしばある。
が、世の中においては、「自分にしか出来ない仕事」ができる人間が重宝される。それが世界で、とか日本で自分にしかできない、とかいうレベルだと、まあ大変なわけだけど、ある地域で自分にしか出来ない、社内で自分にしかできない、チームで自分にしかできない、を目指せばよいのだ。
だけど実際には、目先のニーズで仕事がなされがちで、周りやニーズに合わせてカメレオン的に仕事ができる人間が量産されてしまう。そもそも周りの人が自分に創造性を期待しない場合も多々ある。それに流されてしまい、結果、誰でもできることなのにそれに注力し、自分の得意なものを殺してしまう(鍛えない)というのは勿体ないし、まずいことである。得意なことを究めることが大事であり、便利な歯車になっても仕方ない。
とはいえ、いつまでたってもアウトプットが出せなければ仕事にならないし、飯も食っていかなければいけないので、それなりに飯のタネを確保しなければならない。アウトプットを出しながら自己研鑽するしかない。飯のタネさえ確保すれば、あとは自分がほかの人に比べて得意なことを磨くべきであり、そういう状況に自分をもっていかなければならない。そうでないと多数の人、仕事のなかに埋もれてしまい、結局、いつまでたっても、創造的な仕事=面白い仕事を自分でできない。
しかしまあ保険だけでも手一杯になってしまうのが実際である。面白いことがやりたい人は、飯のための仕事に食われないように強く意識をもつ必要があるように思う。

(脱線、以上)

さて、中堅になってきて大事なのが、誰とやるか、どういうチームでやるか、ということだ。
これまで一人で出来てきたものも、時間が少なくなったこと、仕事のスケールが大きくなってきたことによって一人で出来なくなってきた。チーム編成が重要になっている。
教育でも同様。やる気のある学生とはチームを組み、密に議論したい。

というわけで、今年もよろしくお願いいたします。

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