五島巡検

重要文化的景観区域内の公共デザインの仕組みについて、4つの景観行政団体へのヒアリング調査と現地調査のため、五島列島に行ってきました。研究課題については勿論のことながら、潜伏キリシタン関連遺産の歴史的背景を深く知ることができ、集落景観のみかたをあらためて考えるきっかけになるなど、充実した視察でした。あと、やはり鉄川与助の造形センスには驚かされました。

○五島のキリシタン集落
https://ja.wikipedia.org/wiki/五島崩れ
「五島キリシタン唄「五島へ五島へと皆行きたがる。五島は極楽来てみて地獄。五島は極楽行てみりゃ地獄。二度と行くまい五島のしま」五島には従来の島民たち(非キリシタン)が耕作に適した土地にすでに居住しており、農業に適さない山間の僻地や、漁をするにも不便な辺鄙な入り江、離れ小島など、貧しい土地に住むしかなかった。」

 

 

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堂崎天主堂

弾圧後の五島における宣教活動の拠点。なぜ堂崎天主堂が構成資産から外されたのか違和感を感じて調べてみたら報告論文があった。
大平晃久「堂崎天主堂の世界遺産候補除外とスケールの政治

 

 

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旧五輪教会堂

http://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/goto_churches/kyuugorin/detail.html
「長崎地方にあって、現存する明治初期の教会としては、信徒発見の舞台となった長崎の大浦天主堂に次ぐ古いもの。険しい山を背にする小さな漁港のわずかな平地に、潮風に耐えひっそりとたたずむ教会の姿は、弾圧に耐え抜き信仰に命をかけた五島キリシタンを彷彿とさせる。」

 

 

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頭ヶ島天主堂

○頭ヶ島集落、崎浦の石積集落
https://ja.wikipedia.org/wiki/頭ヶ島
「崎浦の五島石集落における石積み技術は、長崎市外海の出津集落などから移住してきた隠れキリシタンによってもたらされた。また、一帯で行われる漁業の主体となるキビナゴ漁は熊本県天草市の﨑津集落から伝えられとされる。」「文化循環」の一例。

 

 

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野崎の集落跡

○野崎島の集落跡:昭和40年代にキリシタンの住民が集団離村した集落跡。
http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=17
「江戸時代後期、大村藩の外海から五島に渡った潜伏キリシタンが移住。1883年、野首に木造教会ができる。さらに、17戸の信者はキビナゴ漁などで資金を蓄え、1908年、鉄川与助の設計施工でリブ・ヴォールト天井を持つ堂々たるレンガ造り教会が完成した。しかし戦後は過疎化が進み、昭和40年代に集団離村し、1971年に最後の信者が島を離れる。」

 

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旧野首教会

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