景観現象,景観形成の本質を捉える


景観法が制定されて以降、あちこちの現場では「建物の高さ、色、看板、電柱」の議論に終始するあまり、景観計画の現場ではそれがいわゆる景観の主な問題であると認識されてしまうことも少なくない。景観計画とは、単にまちの美醜の問題を取り扱うだけではなく、暮らしの総体としての「環境の質」をこそ視野に入れるべきであることは疑いない。

好ましい景観を考えるときの一つの課題は、その評価が様々なレベルにわたっているということである。すなわち景観自体がその土地の風土や歴史によってそれぞれが大きく違いをみせるのに加えて、同じようにみえる景観でも、個人によって、または集団によって、または時代によってその評価が異なるということが普通である。良好だと思われる景観が、どのように良好であるかを考え、それがどのように成り立っているのかを明らかにするのが景観の専門家・研究者の役割であり、最大の命題の一つであるが、一方で、景観の評価には、主観的な選好を多分に含むために、ややもすると科学的な考察がしにくいという難しさがある。

喫緊の課題として、景観現象に関わる、主体の感情や感覚、記憶、意味認識などをフレーム化した上で、このような風土性や時代性を有する多種多様な景観の評価メカニズムを解明することが求められる。その上で、人々の景観に対する評価や形成され共有化されたイメージが各地の景観形成に与えた直接的、間接的影響を明らかにすることも重要な課題である。

ことさら私が関心をひくのは、人間の自然観・環境観とそれが景観形成に与えた影響についてである。古来の日本人、すなわち貴族や詩人、為政者を含めた文化人がどのような観念や嗜好をもち、どのような空間を占地し、景観を形成してきたか、ということを探りたい。一方、近代以降については、名望家や政治家らの為政者、計画に関わる技師達、さらにはその土地に住む市民がどのような環境観をもって、都市政策を議論し、その結果として都市が形成されてきたか、ということを探りたいと考えている。