地域デザインとしての仏教
地域デザインの実例として、仏教をとらえてみると、そのすごさをあらためて感じる。
生き方を指南し、極楽・浄土というビジョンをもたらし、
コミュニティを形成し、助け合いの核になる。
ときに中国からの最先端技術を用いて、溜池を造り、用水路を造り、困窮した民衆を救済する。
念仏を唱えれば極楽にいける、とか、現世救済を願う、とか、
民衆はそれぞれ救いを信じて生きたわけであるが、
(今も続いているが、あくまでこれまでを振り返って)
ポジティブに生きるために変えられる最後の砦が人間の頭のなか、すなわち価値の体系であり、
世界観だったということか。
その力は観念の世界にとどまらない。
いかに地域社会を形づくってきたかは、田園のなかの集落と、
寺の大きな甍をみれば直感的に感じることができるだろう。
社会そのものを形づくり、システムをつくってきた。
心の拠り所、を基盤にした地域デザインとしてみたときに、
非常によくできた、高度化されたシステムだったといえる。
このあたり、分析的にみてみる価値はありそうだ。
日本文化の礎となり、各時代の政治とも関わりつつ地域の文化形成の基盤となった仏教も、
力をもちすぎたゆえに維新後は政府に疎まれ、学校教育からも宗教教育は排除された。
国家神道は敗戦とともに解体された。
さて、仏教思想は日本文化の基盤として生き残るだろうか?
信仰を基盤とする世界観が失われ、無数の現代的思想におきかわっていくのか。
だとしたら、人間は、いかに人生を肯定的に生きるための信念や観念、心の拠り所を作り出せるのか。
そのときに科学や自然はいかなる役割を果たすのか。
信仰がなお色濃く残る地域では、エコロジー思想や、共助の思想などの
現代的価値観を取り入れつつ、信仰が現代化しながら生き残っていってほしいと思う。
文化の継承という意味では、有形の文化遺産を保存すること以上に大事なことのように思う。
が、宗教は政策では扱えないのである。
景観「学」としては、信仰と地域空間管理の関係のこれまでのあり方をシステム論的に考察し、
それを現代的に補完する仕組みのありかたを探る、ということが、研究としては可能かとは思う。
イギリスのアメニティ思想、ドイツのエコロジー思想の強固さは海外で身にしみて感じた。
イタリアのスローフードも根強い
日本では、いかなる環境思想があらたな精神文化を生むのか、
またそれをベースに、地域デザインをいかにシステム化していくのか
というのは、思考実験としてはなかなか面白いテーマだ。
「地域デザインとしての仏教」の捉え方は、宗教観に新たな強さをもたらす。物凄く面白く拝読しました。