防災と景観

2014.9.17追記
読売新聞夕刊一面(2014年9月16日付,京都)で嵐山の治水と景観に関するコメントを取り上げて頂きました.
(クリックして拡大)

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先日,嵐山で防災と景観を考える勉強会が開かれて,私も話題提供をしました.

いろいろと頭に残ったのですが,特に窪田さんの,
とにかく住んでいる人の目線で,そして彼らにとって最もよい方法で,
その地域のまちづくりを「やり方も含めて」考えていく,という姿勢と,
赤浜や吉里吉里での調査の蓄積を目にして,と圧倒されました.

窪田さんの話の中で,「防災」を「文化」に,というキーワードがでました.
僕なりの解釈で言えば,防災を出発点として地域のまちづくりを考えていくのだけれども,
文化になるくらいの息の長い(持続的な)まちづくりプランを描くということ,
そして,世代が変わっても,被災時のメッセージを後世の人が受け取れるような
まちづくりプランを描くと言うこと,なのかな,と.
もちろん現代に生きる人たちにって,住みよいものをめざすのは言うまでもありません.

篠原修先生も,昔から土木という「文明の装置」を「文化」に.
とおっしゃられ続けていましたし,
「復興まちづくりにおける景観・都市空間形成の基本的考え方」(2012)
においても「災害の記憶を継承し「防災文化」を地域に定着させていくこと」が挙げられています.

さて,昨年の豪雨災害の記憶が新しい嵐山ですが,実際に歩いてみると,
たん熊さんあたりから上流側は,1.7〜2m程度の見事な石垣や土塀があり,
土盛りの上に建築が建てられていて,桂川の水位が上がったとはいえ,
被害はさほどではなかったようです.

嵐山の水位2
写真の青い線が,昨年9月台風18号のときの水位
(計画高水位(H.W.L)を約80cm上回りました)
右の建物も,見え難いですが石垣が二段積まれています.

大堰川(桂川)に面した嵐山吉兆さんのHP(一部抜粋,2013年09月17日)には
  私共の嵐山店は、門までの増水はありましたが、幸いにも庭の一部が浸水しただけで、
  建物自体に大きな被害は有りませんでした。
  明治初期の建物で、昭和23年から管理させて頂いていた経験の中で、
  土台を高く作り直していたため救われたのです。大変ありがたいことです。
  現在は、庭や道路に残った泥の撤去作業を行っております。

という状況がみえますし,そのほか川沿いの八賞軒や延命閣のような明治の建物も被害無し.
ここはフィールド調査に来る度に,すごく高い石垣だな,と思っていましたが,
これが機能したわけです.平常時も良好な景観として違和感がない.
これぞ防災文化ですね.

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(旧ホテル嵐亭・八賞軒附近(工事前),Flicker写真より一部切り抜き転載)

先人がつくった石垣なり建築基礎の暗黙の「高さ」については,すでに忘れられているのでしょう.
しかし,防災機能自体が忘れられたとしても,後世に残したくなるような良好な景観であることで,
残されてきて,それがその地域の持続性(災害に対する強さ)に貢献してきた,といえます.
機能を忘れないように「目に見える形」で,「美しく」表現する,ということが地域の持続に貢献するとすれば,そこには防災文化を生む「景観デザイン」の可能性がみえます.

さすがに防潮堤のコンフリクトは同じようには考えられないかもしれませんが,
地域の持続のために(これが大目標),どのような防災文化を目に見える形で
表現するか,または「未来への遺産として」残していくか,という問題として
捉えられれば,景観デザインのフィールドが広がるように思います.

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