景観研究分野のこれから

最近いろんな方と議論して,自分のなかで気づいたことを書きます.

さて,話題は土木における「景観」という研究分野についてです.
結論から言うと,土木の景観工学は実践のための学として生まれましたが,これまでの
景観研究は基本的に「批評(Critique)」であった,ということに気付いたという話です.

さかのぼれば,今なお教科書として用いられる『景観論』も『景観の構造』も『風景学入門』も,まさにすぐれた批評でありましたが,これらが出された頃,「景観」という言葉はほとんど用いられていなかったといいますから,「景観」とか「風景」という概念を社会に浸透させたという意味で,その意義はきわめて大きいものだったと思います.
ただ”「景観」という切り口から論じる”という批評のアプローチ自体は継承しながらも,”学”である限り新たなフェーズへと進化することが求められています。

特に分野が大きくなり,概念の精緻化・構造化による批評の学術的発展や計画実装のための計画論の構築などが求められています。一部で実証主義的研究も進められていますが,まだまだごく少数です.

批評(意味論ともいえる)や実践理論は,基礎理論と違って,なかなか蓄積するのが難しい.
知らず知らずの間に分野としては屍の山になってしまう恐れもあります.
分野の停滞と沈没の危機からどうやって抜け出すのか,いかに新しい分野を切り拓くのか,はきわめて重要な問題でしょう。
  
  
実践に求められていることは、時代とともに変わる部分と変わらない部分があります.本質的には変わらないとはいっても,景観研究が「批評(Critique)」の分野として生き残るためには,これまでの蓄積を基盤にしながらも,あくまで批評や実践理論として,新しい概念やフレームを生み出し続ける必要があります.
個人的には「景観」に変わるほどの新たな批評の軸を打ち出さないと,難しいだろうと思っています.

しかし新しい批評のフレームを生み出し続けることは簡単ではありません。分野として生き残るためのもう一つの方法は,批評的なアプローチのほかに,実証主義的アプローチを展開し,分野を充実させることです.環境心理学や行政学、歴史学など、基本的には既にある周辺領域の研究分野の方法論を修得してから,景観や地域という分析対象への応用を図るというのが正攻法でしょうが,この「周辺領域の研究分野の方法論を修得」が中途半端なままだと分野として成熟しません.
方法論を借りてくるというアプローチを乗り越え、独自の研究分野にまで高められるかどうかが、「学術分野」としての生き残るかどうかの分かれ目になるのではないかと思っています.

実践理論の構築を目指すとともに、実証主義的な研究の方法論を身につけ、独自の研究を切り開く、という当たり前の話ですが、これを徹底する必要がありますね。
 
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(以下、追記)
以下、若い人は必読かと。
「新分野で活躍する人物像 景観工学の来し方、将来を語る」中村良夫・樋口忠彦・篠原修
土木学会誌72巻9号、1987)

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