風景を読む/詠む/演ずること
今週末の風景史シンポ第二弾@京都(7.12)では、前半の話題提供では嵯峨野の話をして、
後半の議論では、京(みやこ)の歴史を郊外から読むという視点を示したいと思っています。
一方で、前回の東京での中村先生の講演と議論をふまえて、風景史学の意義についていまの
自分の考えを整理したので、以下に備忘録的に書いておきます。7.12でも一部言及するつもりです。
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風景とは、人と環境の間にある関係、のひとつの形態であるといえる。
たとえば人は周囲の山並みを、自然とその現象を風景“として”みた。
このとき風景とはひとつの見方である、ともいえる。
いずれにせよ普遍的なものなのではなく、きわめて固有な文化の産物である。
(司馬遼太郎的に言えば、特定の集団においてのみ通用する特殊なもの、である)
自然美というものが、趣向の域を越えて、ある種の規範となっていた時代があった。
日本庭園しかり、である。
イギリスの風景式庭園や田園都市も同様であり、アメリカのパークシステムも、
現代のエコロジーも同様であり、どれも文化の産物である。
文化は土地とそこに住む人々の間で生みだされるものであるが、
ときに文化は、文明(もしくは科学)とともに外の世界に波及しうる。
そして環境をも形づくるのである。
ある景観のなかに、その景観がつくられたときの規範がいまも生きていれば、
その規範は尊重すべきであろう。
が、いまも昔も、景観はそれがつくられた時代の政治、経済、社会等が
表象化したものである。そしてそれは時代とともに変わる。
伝統的風景観を生んだ近代以前の日本においても、
その時代の政治、経済、社会の産物としての景観があり、風景があった。
たとえば、貴族社会、荘園文化、文芸サロンなどが風景をつくったわけである。
現在のわれわれをとりまく景観は、もはやそのようなものではない。
いま、現代に生きるわれわれには環境とどのような豊かな関係を築くことができるのか?
中村良夫先生に、6月の基調講演で教えていただいたのは
風景=風土をinterpréterする、ということ。
フランス語では「解釈する」のほかに「演奏する」という意味ももつ。
即ち、テクストを「読む」という行為は、音楽家が楽曲を「演ずる」という行為に
たとえることができるということだ。
人と環境の間のある種の “豊かな” 関係を風景と呼ぶならば
歴史のなかの文化であったり、エコロジーであったり、手がかりは何でもよい。
そこにすぐれた創造性や美的経験も含みつつ、その瞬間に、時代に、
そうした環境との豊かな関係を読み、詠み、演ずることができれば、それでよいのだと思う。
もちろん形の問題(景観の創造)も含む。
少なくとも、歴史の中のきわめてすぐれた創造性を知り、理解することは重要だ。
ある時代を生きた人間には評価できないことも、今なら客観的に評価できるというものもあるだろう。
本居宣長の源氏物語研究などその最たるものかもしれない。
創造的に風景を読む/詠むこと、が広い意味での“造景家”の仕事である。
近代までは文学者、芸術家が風景を詠んだが、今の時代はそうとは限らない。
歴史家、都市計画家、生態学者などの研究者やプランナー、デザイナーは
これからの造景、風景づくりの重要な演じ手になる。
それぞれが次代の風景の可能性を、風景論としてたたかわせることになろう。
風景は、より知的に先鋭的、より個別的に顕れるであろう。
それがどの程度、文化として共有され、発展するかは分からない。
この風景を読む/詠むための知の技法の獲得のため、
または創造の手がかりを与えるため、
風景史学というものが貢献できる領域は小さくないように思う。