2016-2017

賀正
年が明けた。とはいえ、昨年中に締切の仕事をいくつか持ち越してしまっていて、
まったく気持ちが時間の流れに追いついていない。
区切りをつける意味でも、備忘録としても、一年の仕事を振り返っておきたい。

2016年は依頼原稿や報告書の執筆が重なり、締切に追われるように過ぎてしまった。
ざっとあげると都市基盤史研究会の成果本の論文、コンペガイドラインの事例編、某事典の記事、
伊庭の文化的景観調査報告書、造形大の庭園学講座本、堺の講演録本、そして論文数本。
何が大変かというと、書くために勉強をしなければならないことだ。
ま、でも勉強は楽しい。知れば知るほど楽しいものだし、新たな研究テーマの発掘につながる。

一方で、査読編集委員の仕事が重なり、十数本の査読をとりまとめることになった。
査読判定を自分が書くのもさることながら、大量の査読判定理由書を見ていると、
論文の落ち方が分かる。非常にいい勉強になった。

土木計画学50周年事業(4回分のシンポジウムの企画と資料作成)での企画幹事の仕事も有意義だった。
http://www.jsce-ip.com/events/50years/finished.html
学会の歴史を知り、幹事メンバーと議論を深める中で、社会の中の学のあり方を深めて考えられた。
先人がどういうことを考えて、学を確立していったのか、という経緯をなぞったこと、
そして今を生きる研究者たちが何を考えているか、を知ることで、
自分たちがこれからの学のあり方をどう確立していくべきか、を学べたのは大きな成果だ。
そして、それは若手研究者の会の立ち上げとそこでの議論へとつながっている。
50周年事業の仕事がなければ、この動きは思いつくことはなかったと思う。

また、春には中村先生を招いての勉強会で、君たちにバトンを渡しにきた、という
重い言葉とともに、きわめて鮮烈で鋭い切れ味の原論に相当の刺激を受け、エネルギーをもらい、
それ以降、講義ノート案の骨格をつくる作業をしている。
夏と秋を越えて、ノートが少しずつ充実し、景観学の新しい体系が自分の中でおぼろげに見えてきた。
これは2017年に議論をして、しっかり固めていきたい。

実践・調査系でいうと、夏休みを捧げた11日間の宇治茶の集落調査を通じて、
また、伊庭の景観の「本質的価値」を、地理学や建築史学、農学の先生方と議論する中で、
景観を価値づけるためのいろいろな観点や切り口を学ぶことができた。
これまた、かなり奥が深くて面白い。だけどいろんな知識を前提にした複雑な知の構造になっているので、
きわめて分かりにくい。しかし社会科学における知とは単純なものではないのだろう。
ちなみに、若い人には、wikipediaで調べられるブツ切りの断片的知識ではなく、
一言では語れない、教養に根ざした深く広い理解に基づく論立てをこそ、勉強してほしいと思う。
自分もそれをうまく調査研究手法として固めていきたい。

また、コンペのデザインガイドラインの仕事でも、どのような枠組みで事例分析を進めるかなど、
とりまとめ作業がいい経験になった。事例研究、その方法論の確立も重要な仕事だ。

まあ、とにかく日々勉強、勉強で、いつまでたっても勉強すべきことは減らないというか、
むしろ増えていく。いかに自分が無知であるかということを思い知らされてばかり。
しかし、最先端の議論はいつも知的に刺激的だ。
自分はやはり考えることが何より好きなんだということにあらためて気づいた1年だった。

で、2017年をどういう年にするか。
いろんな意味で、「転換」の年にしたいと考えている。
分野における景観学のあり方、をしっかりと見越して、
研究室の研究活動も舵取りをしていかなければならないし、内外の人材育成も進めたい。
そして過去10年の積み上げをもとに、今後5−10年を方向付ける年にしたい。

今年も「考える」年にはなりそうである。

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