カテゴリー: Memo

システム的思考

今年はいろいろやってみた。いろんな人と議論した。 誰が、どういう立ち位置で、どういう考えで、どう行動するか。 個人が、集団が、組織が・・・。 そういう社会のシステムが少し分かるようになったというのかな。 これは単純に、研究室を飛び出して外と交流をもったから、だろう。 さて、今年1年を振り返って、重要だと...

宿題

葉先生から宿題をいただいた。僕の理解では、 見出される風景とは 共有される風景とは どういう景観の物理的特性をもつのか、また、 発見され、共有されるにいたるまでどういう心理的・社会的メカニズムが働いているのか、 それぞれについて、またこれらの関係性を解明してください、ということだと認識している。 庭園の...

計画論と研究 その2

(つづき) われわれ大学の計画系分野にいる人間(学生も含む)は、 研究やケーススタディ(型研究)に没頭するだけでなく、 時代を切り開く、新たな地域づくりの「計画論」を提示しなければならない、という使命がある。 しかもその計画論の適用可能性を研究によって示さなければならない。 特にこの激動の時代。産業基盤...

計画論と研究 その1

今、社会で求められる計画論について考えてみる。 他分野の人と飲みに行ったりすると、よく聞かれるのは、 「どんな研究の方法論を用いている?」ということで、 そういうときには、 既存の都市形成史分野の研究の方法論に基づいて、 都市形成のメカニズムについての質的評価を、 分厚い記述や未発見の資料を用いて行うこ...

風景論

すぐれた風景論の論考を読んだりして思うのは、 あれは一つの世界観の表現であり、 論述の積み上げに納得するかどうかということがもちろん大事だが、 その世界観に共感するかどうか、の方が本質なのではないかということ。 たとえば、ベルク風土論も非常に大きな「山」であるけれども、 唯一の山ではなく、隣をみれば他の...

詩性

詩とは無責任なものだ。 現実のさまざまな問題とはかけ離れた視座から、 環境の「美しさ」のみが抽出され、詩的世界に置かれる。 現実の世界を反映しない、その抽出された美は、 現実のなかに住む、われわれの眼を開かせる。 われわれを非日常の世界へと誘い、入り込ませる。 一瞬かもしれないが、人間の精神を、しがらみ...

強い場所とデザイン

建築作品の「強さ」はよく語られていると思う。 では、水辺や広場などオープンスペースで、場所が人に訴える印象の「強さ」はどうか。 どういう歴史があって、それがどう外と接続して、どう作られたか、ということは語られても、 その場所としての強さとなると、なかなか言葉にするのが難しい。 実際に体験してしまえば、一...

やまびこのやうなもの

先日、中村良夫先生がご講演で、 「場所の光に照らし出される自分」 という、とても興味深い概念について話されました。 それと同じではないが、似たようなことを、僕もなんとなく考えるところがあって。 風景を眺める体験の一側面として、人間的なものとの対話というか、逆に内省に向かう鏡というか、 そういう心理的な現...

景観現象,景観形成の本質を捉える

景観法が制定されて以降、あちこちの現場では「建物の高さ、色、看板、電柱」の議論に終始するあまり、景観計画の現場ではそれがいわゆる景観の主な問題であると認識されてしまうことも少なくない。景観計画とは、単にまちの美醜の問題を取り扱うだけではなく、暮らしの総体としての「環境の質」をこそ視野に入れるべきであるこ...